川崎区

提供: Yourpedia
2020年1月14日 (火) 20:54時点におけるSnowdome (トーク | 投稿記録)による版 (LTA:RXYrxy)荒らしの差し戻し。)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

川崎区(かわさきく)は、神奈川県川崎市を構成する7区のうちのひとつである。JR東海道線の東側(海側)の地域である。

地理

川崎市の東南端である多摩川の下流から河口にかけての南側に位置し、全域が平地となっている。川崎市の7つの区の中で唯一海に面している。 海側は埋め立の造成が進んでおり、人工島の東扇島扇島もある。扇島は全域私有地であり、首都高速湾岸線を通行する場合を除いて一般人の立入りはできない。

隣接している自治体・行政区

神奈川県
東京都
千葉県

区勢

川崎市の歴史 も参照

区内の稲毛神社7世紀半ばの欽明天皇によって勅願所となり、平間寺(川崎大師)は平安時代後期の1128年に創建されるなど、古くから神社・仏閣の門前町が整備されていたが、都市の本格的な発展は徳川家康東海道の整備を行い、江戸時代初期の1623年東海道五十三次宿場町として正式に川崎宿を設置してからである。さらに1872年には日本最初の鉄道として開業した官設鉄道(現在の東海道本線)に川崎駅が設置され、川崎は東京と横浜をつなぐ交通至便の地として急速な都市化を経験し、1924年の市制施行は現在の川崎区(その後の埋立地を除く)と西隣の幸区東部で行われた。1923年には関東大震災1942年-1945年には第二次世界大戦による日本本土空襲[1]で大きな被害を受けたが、その後も発展を続け、現在の市街地が形成された。

現在も川崎駅前以外では、平坦な多摩川の河口平野上に戦前から形成された住宅地に建設された戸建住宅が多く、そこに小規模な工場が点在する商工混在地域が広がっている。その点では、東海道本線や京急本線でつながる東京都大田区や横浜市鶴見区などと風情は似たものがあり、戦後の高度経済成長期に丘陵部での集合住宅建設が進められ、人口が急増しながらも一部では農地や緑地が残る川崎市北部(宮前区麻生区など)とは全く異なる雰囲気がある。また、この高度経済成長期には大気汚染公害が深刻となったこともあり、川崎区の人口は一時減少したが、近年では川崎駅から離れた京急大師線沿線や東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)沿いで建売住宅やマンションの建設が進んでおり、人口は今後も増えると予測できるため、学校や病院等の公共福祉関係の充実が課題となっている。この産業道路や、それとほぼ並行する東海道貨物線の東側は広大な埋立地で、鉄鋼・機械・化学などの重化学工業の大規模工場が集約されている。京浜運河の対岸には扇島東扇島人工島が整備され、製鉄所や火力発電所が建設され、中央には首都高速湾岸線が走る。浮島町にある川崎浮島ジャンクションはこの湾岸線と東京湾アクアラインの接続点となり、さらに東京国際空港(羽田空港)に川崎側で最も近い地点となっているため、羽田空港の「神奈川口」構想が検討されている。

川崎駅東口には繁華街がある。第二次大戦による空襲被害から復興した銀柳街アーケード商店街が広がり、1987年には地下街川崎アゼリアシネマコンプレックスチネチッタが開業した。2002年川崎DICEラ チッタデッラの開業で区内の商業機能は更に強化され、幸区になる川崎駅西口のラゾーナ川崎ソリッドスクエアとの競合関係を起こしながら、川崎駅地域での商業集積を高めて、市内や近隣地域へ商圏を拡大している。川崎駅東口の商店街から国道15号線(第一京浜)を挟んだ東側にある富士見公園にはかっての川崎球場であった川崎富士見球技場や川崎競輪場、その北側には川崎競馬場1950年前後に整備され、競輪場と競馬場では現在も公営競技のレースが開催されている。

川崎区内には川崎駅や川崎市役所など市の中枢機能が集中し、人口は決して少なくはないが、沿岸部に広大な工業用埋立地を擁するために、区の人口密度は他区に比較して低い。この数十年の人口動態の変化と東京-川崎-横浜(町田)間の鉄道網の整備から、川崎市の人口重心は川崎区から離れる傾向が続き、市内北部ではいわゆる「川崎都民」の増加がみられるため、川崎縦貫高速鉄道(2012年度をもって廃止)や川崎縦貫道路の整備、大師線の地下化などによる川崎市内の交通網整備と川崎区の活性化が構想されている。このうち、川崎縦貫道路は川崎区内の一部が首都高速神奈川6号川崎線として川崎浮島ジャンクションから大師出入口までが既に開通し、さらに西への延伸が検討されている。

沿革

経済

川崎駅周辺は日本アイ・ビー・エム富士通の関連会社など、情報サービス産業が集積している。一方臨海部では、製鉄所や石油化学、機械・電機等大規模工場と港湾物流の倉庫等が多数集積している。

商業

大型商業施設


スーパーマーケット

その他

産業

川崎市内の中心的な商業地である。また臨海部は川崎港を有しており、貿易や倉庫業務が発展している。また、京浜工業地帯に属し、大規模な石油コンビナートや製鉄所が立地している。特にJFEスチール(旧・NKK日本鋼管)の製鉄所と石油・化学メーカーの施設が集中している。東扇島と扇島は国が石油備蓄基地に指定されている。

商業は川崎駅東口と京急川崎駅前を中心に発展している。 川崎大師周辺では観光業(お土産店等)も発展している。

本社・事業所・研究所等

教育

高等学校

中学校

小学校

特別支援学校

外国人学校

交通

航空

多摩川対岸の東京都大田区羽田空港があり、神奈川口構想が検討されている。

鉄道

ファイル:Kanarin chidori.JPG
神奈川臨海鉄道千鳥線

路線バス

1969年川崎市電が全廃されてからは、京急大師線が通る区内北部を除く地域の公共交通機関がバス輸送に大きく依存している。川崎駅東口には大規模なバスターミナルが整備され、臨海部の工業地帯への通勤輸送と区内南西部の住宅地を対象とした生活輸送の双方でのターミナルとなっている。また、一部のバス路線は鶴見駅へも運行されている。

道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

観光

レジャー

ラ チッタデッラ内にある首都圏最大級のシネマコンプレックス。13スクリーン 約4,100席。
川崎DICE内にあるシネマコンプレックス。9スクリーン 1,902+(20)席。
ボウリング(40レーン)、アミューズメント、カラオケ、スポッチャ等。駐車場318台
約15ヘクタールの広大な公園で夜は夜景でも有名。人工海浜(かわさきの浜)、多目的広場、バーベキュー広場、憩いの広場、汐入のデッキ、ドッグラン、グランドなど。釣りは禁止。市内唯一の砂浜(遊泳禁止)もある。
  • 東扇島西公園
海沿いなのでとても景色が良く、休日にはピクニックや釣りで来園されるカップルや家族連れで賑わっている。広大な公園全体の海側が海釣り可能となっており釣り好きには有名なスポットである。
浮島つり園という海釣り施設が完備されている。対岸は羽田空港で飛行機も間近に見えるので、撮影スポットとしても有名である。
地上50メートルにある展望台(無料)・テニスコート・ビーチバレー・バーベキュー設備・体育館など。

イベント・祭り

  • 毎日映画コンクール授賞式:2月上旬
  • かなまら祭(金山神社):4月第1日曜日
  • かわさきアジアンフェスタ
  • かわさきアジア交流音楽祭
  • 川崎大師風鈴市:7月下旬
  • 川崎山王祭(稲毛神社):8月1日〜3日
  • 大師サンバ祭り:7月20日頃
  • 川崎阿波踊り:10月第1土曜日 
  • 日本の祭り:10月第3土・日曜日
  • カワサキハロウィン KAWASAKI Halloween:10月下旬 全国にその名が知られる日本最大のハロウィンイベント
  • 川崎市民祭り:11月上旬
  • FANTASYかわさきインナイト:年末年始

スポット

  • CLUB CITTA' クラブチッタ(ライブハウス)
ラ チッタデッラにあるライブハウス。主に音楽ライブを開催する。
大師公園内にあり、中国の伝統的な庭園と明・清代を代表する建築様式が再現されている。
  • 川崎沖縄労働文化会館
三線教室や琉球舞踊教室、イベント等が開催される。
多くの焼肉店や韓国食材店が点在している。焼肉店はお手頃な店から高級店まであるが、エリアが広く店が密集しているわけではないので事前に調べてから行きたい。地元ではセメント通りと呼ばれて親しまれている。
絵画・彫刻・工芸・デザイン・写真などの現代美術分野で意欲的な創作活動を続けている作家を取り上げ、企画展を開催している。
  • 川崎能楽堂
自らの歴史や伝統文化をもう一度じっくりと見直す場として活用したい施設。能楽教室も行われている。
  • 砂子の里資料館
東海道川崎宿をテーマにした資料館。浮世絵中心に毎月変わる企画展示を行っている。

川崎区出身の有名人

その他

  • 政令指定都市で市名と同名の区名を名乗っているのは長らく当区が唯一の例であったが、2006年に政令指定都市になった大阪府堺市堺区ができたため2つになった。
  • 区名の公募では「中央区」が第1位であったが、位置的に市域の東端であるため、公募第5位だった「川崎区」が採用されたという[2]

脚注

  1. 1945年4月15日の空襲が最も激しく、市内では現在の川崎区域を中心に死者約1000人、負傷者約1万5000人、罹災者約15万人となった。出典:総務省一般戦災ホームページ 川崎市における戦災の状況
  2. 出典:『こんな市名はもういらない!』(楠原佑介著、東京堂出版)、290ページ

外部リンク