谷口克弘

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谷口 克広(たにぐち かつひろ、1943年 - )は、日本のオナニー家。専門は戦国史。

略歴[編集]

教師をやりつつ趣味で歴史研究をするというアマチュアだったが、定年になったため趣味が本業になった人物。

織田信長関連の著作がほとんど。

史料のまとめ役としてはそこそこの価値があるが(それでも大日本史料に新史料をちょっと付け加えただけ)、私見は頭が悪く偏見に満ち溢れているため、全くダメである。

特徴[編集]

キリスト教への偏見[編集]

谷口はとにかくキリスト教について無知で、その上やたらとフロイス日本史を軽視したがる。以下はその例。

「検証本能寺の変」吉川弘文館27ページより

それにフロイスについては、上司のヴァリニャーノから誇張癖があると 
された人物であり、表現のみならず、書かれた事柄に関しても吟味する必要がある。
  • フロイスに誇張癖があったのは事実だが(日本史を読めば分かる)、そこから意図的に「表現のみならず、書かれた事柄に関しても吟味する必要がある」などと拡大解釈をしている。


「恐ろしい信長」 ~このイメージはどこからきたのか~ http://nobunagagaku.com/cn16/essay02_02.html#/8

フロイスの上役に当たるヴァリニャーノは、フロイスを評して
記述することは大げさで虚言癖がある、と言っている。
  • 誇張癖がなぜか「虚言」癖にすりかわっている(おそらく意図的)。
  • ヴァリニャーノが「フロイスに虚言癖がある」と言ったことはない。
  • 谷口の方こそ虚言癖があるではないか?
やれ信長がちょっと合図をするだけで重なり合うように消え去ったとか、
やれ一人を呼ぶと百人が返事をしたとか、
はたまた顔を地に付けて話をしたとか、
あの大げさな記述は一体何なのだろうか。
要するに、信長という男が家臣から恐れられていた、ということを表現するための、フロイス一流の「比喩」なのだろう。
(中略)
このような無責任な「比喩」が時々表れるから、信用を失うのだろう。
信長の性格を語る時も、小説ならばよし、歴史ならば、フロイスの「比喩」に騙されてはいけない。
※ソースは同上
  • なぜ勝手に「大げさ」「比喩」などと決め付けるのだろうか。
  • 身分が下の者が顔を地に付けて挨拶するのは「土下座」という日本の一般的な習慣である。
  • 「一流の」などと一見持ち上げてみせるあたりに谷口の姑息がうかがえる。
  • いつフロイスがヴァリニャーノの信用を失った?
  • 信用を失った者が日本という最前線で布教を続けさせてもらえるほど、イエズス会は甘い集団ではない。

ほかにも谷口は非業の死を遂げた者・権力者に対して容赦ないなどと言っているが(「織田信長合戦全録」にも書いてある)、それは信長が自己を神格化しようとしたからだ。谷口としては神格化の件は無かった事にしたいらしいが、それではそもそも悪く言う理由がないではないか。

まあそれを差し引いても、信長は異教徒なので、悪く言わない方がむしろ不自然とも言える。谷口は異教徒の件について触れた事は1度もないが。

信長の過小評価[編集]

キリスト教の事についてはまあ無知ゆえに仕方ないこともあるが―――学者としては問題だが彼は学者ではない―――これについてはどうにも解せない。

彼の信長評「気まぐれ」「執念深い」・・・思いっきり矛盾している。気まぐれなのに執念深いってどういうことだ。

思うに彼は戦後世代のため、敵・味方というくくりで人間を見ることができないのであろう。一向一揆を殲滅するのに秀吉の妻にはいたわりを見せる、などという意見がいい例だ。 もうアホとしか言いようがない。一向一揆は敵で、おねは味方ではないか。敵を殺すのは当たり前。敵を殺して味方を守るのが味方への優しさでもある。殺されたくないのなら一揆などするなという当たり前の話だ。

執念深いというのもおかしい。なぜなら谷口は「1年前に城を落とされた事をまだ覚えている」という件をもってこんな事を言っているからだ。・・・城を落とされても1年経ったら忘れるような人間が、国を統一することなど出来ると思うのか?彼は健忘症なのだろうか。

ちなみに、イタリアの歴史教科書では指導者に求められる資質として5つの基準を挙げている。知性・肉体上の耐久力・説得力・持続する意志・自己制御の能力。(決断力が入っていないのは海外では当たり前の事だからである)

「持続する意志」。お分かりだろうか?「執念深い」というのは見事にこれに当たる。

谷口は文献とにらめっこをするのもいいが、もう少し政治の事を勉強してはどうだろうか。


現代的価値観の持ち込み過ぎ[編集]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『殿様と家臣 信長に仕えた男たちの幸運と不運』 (イースト・プレス、1995年)
  • 『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館、1995年/第2版、2010年)
  • 『秀吉戦記 天下取りの軌跡』 (集英社、1996年/学研M文庫、2001年)
  • 『信長の親衛隊 戦国覇者の多彩な人材』(中公新書、1998年)
  • 『信長・秀吉と家臣たち 歴史に学ぶ』(日本放送出版協会、2000年)
  • 『目からウロコの戦国時代 史料から読み解く、武将たちの本当の舞台裏』(PHP研究所、2000年)
  • 『織田信長合戦全録 桶狭間から本能寺まで』(中公新書、2002年)
  • 『目からウロコの戦国時代 史料から読み解く、武将たちの真相』(PHP文庫、2003年)
  • 『信長軍の司令官 部将たちの出世競争』(中公新書、2005年)
  • 『信長の天下布武への道』<戦争の日本史13>(吉川弘文館、2006年)
  • 『検証本能寺の変』(吉川弘文館、2007年)
  • 『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反』(中公新書、2007年)
  • 『尾張・織田一族』(新人物往来社、2008年)
  • 『信長の天下所司代 筆頭吏僚村井貞勝』(中公新書、2009年)
  • 『信長・秀吉と家臣たち』(学研新書、2011年)